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【2023年 通常開催】大阪 少彦名神社の神農祭とは?2023年の日程は?

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古くから続く日本のお祭りは、それが秋であれば作物の収穫祭に基づくものがほとんどです。

秋の収穫-min

が・・・このお祭りは違っています。

大阪で行われる「神農祭」というお祭りをご存知ですか?

はい!というあなたは、多分ですが、このお祭りの由来などはすでにご存知かと思います。

ただ、そうではない方であれば、神様の「神」に農業の「農」だから、農業が絡んでいるんじゃないの?と思ったとしても、不思議なことではありません。

でも、はっきり言って違います!

あれ?だったら何なの?という疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。

このような素朴な疑問はさくっと解決していただきたいので、始めに神農祭由来からお届けいたします ^ ^

もし、由来やなんかは必要ないけど、今年の日程が知りたい!という場合は、スルーして下の方へお進みください。

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神農祭の由来とは?

突然ですが、「コレラ」はご存知でしょうか?

近年、この病名を耳にすることは無くなってきていますが、かつて恐れられていた伝染病の1つです。

コレラが日本に入ってきたのは、1822(文政5)年のこと。

長崎を発端に、大阪まで広がり、多くの死者を出しました。

これが、日本で最初となるコレラの大流行で、大阪では、1日に3~400人の死者が出たといわれています。

コレラは、病にかかった人が2~3日でコロリと死ぬことから、「三日コロリ」と呼ばれていました。

さらに、虎や狼が一緒になって来るような恐ろしい病気ということで、虎狼痢コロリという当て字が生まれたほどです。

また、時代が時代ですから、コレラの特効薬が存在するはずもありません。

治療法も分からない中でありながら、道修町どしょうまちの薬種商が相談してを作り、お守りと共に授与しました。

その薬は「虎頭殺鬼雄黄圓ことうさっきうおうえん」といい、虎の頭骨など10種類の和漢薬を配合した丸薬でした。
※虎の頭骨は「鬼を裂く」といわれ、疫病除けとされていました。

お守りは?というと、病名にも、薬にも「虎」の文字が当てられていたことから「張子の虎」が用いられました。

張子の虎は、少名彦神社すくなひこなじんじゃの神前で祈祷した印として「薬」の文字を腹部に朱印し、五葉笹につるして授与されました。
※五葉笹=節のところから5枚の葉が出ている笹のこと

時は流れ、明治時代初期に「売薬取締規制」が制定されたことで、丸薬の配布は廃止されました。

ただ、張子の虎は「神虎の守り」といい、無病息災のお守りとして、現在まで受け継がれています。


さて、ここまで読み進めていただいたのであれば、「神農祭の農は、農業の農ではない」というところは、ご理解いただけたのではないかと思います。

あら・・・もしかして、まだ「農」の文字への疑問は残っていますか?

それであれば、どうぞこの先へお進みください。

少彦名神社の歴史と祀り神

神農祭が行われる少彦名神社のある道修町(大阪市)は、「くすりの町」と呼ばれています。

薬②-min

なぜだか解りますか?

難しいことは、何もありません。

道修町は、薬屋さんが多く軒を連ねる町だったのです。


遡ること、安土桃山時代・・・

時の将軍、豊臣秀吉の商業政策により、道修町に、108軒の薬種商が集められます。

これによって、道修町は、薬問屋の町として形成されました。

江戸時代(徳川吉宗のころ)になると、道修町の薬種商124軒を株仲間とし、ある特権を与えます。

それは、唐薬種や和薬種の適性検査をし、全国へ売りさばくというもので、現在の卸売りにあたります。

この頃の薬は、長崎から輸入される唐薬種が主流で、品質などを見極める事は、とても難しいものでした。

そこで、中国医薬の祖神とされる神農炎帝を、仲間会所に祀っていました。
※仲間会所は、株仲間の事務所もしくは集会所のことをいい、道修町では、現在の少彦名神社の場所にありました。

その後、和薬種の取扱が増えると、日本の薬の神様である少彦名命を、一緒に祀りました。

京都の五条天神から、少彦名命の分霊を迎えたのは、1780(安永9)年のことです。

これが、少彦名神社の祭祀の始まりとなります。

やがて、1906(明治39)年になると、勅命により、神社の統廃合政策が進められます。

俗にいう、神社合祀じんじゃごうし政策です。
※神社合祀政策:1町村1社を目指して行われた神社統廃合政策(神社整理)により、各地で起こったさまざまな動きを総称する用語

当然、少彦名神社もその対象となり、近隣神社と合併するか、独立するかの決断を迫られます。

氏子の方々が出した結論は、合併ではなく、独立した神社として祭祀を続けるというものでした。

社殿と社務所が新築され、1910(明治43)年には、無事に、正遷宮しょうせんぐうを執り行うことができました。
※正遷宮=神社本殿の修繕や改築が完了し、神体を仮殿から本殿へ遷す神事

1980(昭和50)年には、「少彦名神社 鎮座200年」を記念して、拝殿・本殿を修復、社務所を新築し、現在に至っています。


ここまでくれば、もう察しが付いているのではないでしょうか。

神農祭の「神農」は、農業の神様ではなく、中国の薬種神である「神農炎帝」に由来するものです。

最後になってしまいましたが、今年(2023年)の「神農祭」開催情報等を以下にまとめておきます♪

神農祭!2023年の日程

神農祭は、大阪の一年を締めくくる祭りであることから、「とめの祭り」とも、呼ばれています。

祭-min

◎開催日:11月22日(水)、23日(木・祝)

◎開催時間:両日とも10:00 ~ 20:00

◎健康むすめによる神寅授与時間:両日ともに10:00 ~ 18:00
※22日(13:30 ~ 16:00)限定で、北新地芸妓さんによる神虎笹の配布が行われます。

◎神農祭特別御朱印受付・授与時間:9:30 ~ 16:30
※詳しくは、HPにてご確認ください。⇒「御朱印・御朱印帳」

◎場所:少彦名神社
 大阪市中央区道修町2丁目1番8号

◎アクセス:大阪市営地下鉄堺筋線「北浜駅」6番出口より徒歩3分
 大阪市営地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」11番出口より徒歩8分

神虎の御守について

神虎の御守は、お祭り開催日に授与所にて授かる事ができます。

神虎-min

といっても、慌てる必要はありません!

お祭りが終わったあとでも求める事ができ、今年は節分の頃までを予定しているそうですは求める事ができます。

つまり・・・

  • お祭りには、都合が合わなくて行く事ができない とか
  • 御守は欲しいけど、人ごみが苦手だからお祭りはちょっと・・・

という場合は、お祭が終わった後でも、あなたの都合に合わせて、少彦名神社へ出向いて行けば大丈夫!ということになります。

ただ、神農祭の後に授与される神虎笹は、絵馬付きのものだけとなるそうです。

詳しくは、公式HPにてご確認ください。神虎笹を郵送でいただく方法もありますので、遠方の方にもご覧いただけたらと思います。
 ⇒「神虎笹について」


くすりの町に根付いている「神農祭」は、毎年、家族の無病息災を願い、神虎の御守を求める人で賑わいます。

医薬品関係者にとっても、重要なお祭りとなっています。

そして、少彦名神社は、薬の神様を祀っていることから、医師や薬剤師など、その道を目指す多くの人が合格祈願に訪れる神社となっています。

≪参考≫
無病息災を願う「神農祭」少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)/ 4travel.jp 
ご祭神・よくある質問 / 少彦名神社(神農さん)

コメント

  1. 武知 美佳 より:

    解りやすく、詳しく、
    ありがとうございました! 勉強になりました。

    • より:

      武知さん

      こんにちは。
      わざわざ、ありがとうございます。

      とてもうれしく思います。

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