現在は、お中元というと、日頃お世話になっている方に贈る品物を意味する言葉として定着していますが、古い時代の日本では違っていました。
えっ?!と、思いましたか?
それでは「お中元」の「お」を外してみてください。
すると、残るのは言うまでも無く「中元」です。
真ん中を指す「中」という言葉から、その前後を指す「上元」や「下元」があってもおかしくはないと思いませんか?
だって、お月様にも「上弦・中弦・下弦」とあるじゃないですか。
実のところ、今のお中元の風習は、「上元・中元・下元」の「中元」だけが形を変えて残ったものとなっています。
さらに「上元・中元・下元」は三元と呼ばれており、中国の道教から生まれた雑節ともされています。
ここでは古代中国の風習に触れつつ、三元について解り易くまとめました。
三元とは?
三元の「元」は、「はじめ」という意味を持っています。
このことを踏まえていただくと解るかと思うのですが、古代中国においての三元は、三つ(年・月・日)の元で、本来は元旦を表していた言葉だと言われています。
それが、どういう流れで変化したのかは定かではありませんが、六朝末期には、三元というと道教の祭日である「上元・中元・下元」を意味して、それぞれの日を指すようになっていました。
※六朝時代:西暦220年~589年
三元の日は、それぞれ
- 上元:旧暦1月15日
- 中元:旧暦7月15日
- 下元:旧暦10月15日
となっています。
さて、ここからは中国の風習を含め、日本においての三元を見ていきたいと思います。
最初にお断りしておきますが、個人的な考察を含みます事を予めご了承ください。
上元とは?
上元は、旧暦正月十五日をいいます。
中国においての上元は、昔から元宵節や元夕といって、上元の日を中心に灯籠を灯して夜祭を行う風習がありました。
この風習から、上元は灯節とも呼ばれています。
また、この日に小豆粥を食べると、その年(1年間)の疫を避けられるとも言われていました。
ここで気になったのが、小豆粥です。
日本では、小正月に小豆粥を食べるという風習があります。
今では、新暦1月15日に小正月の行事を行う所が多いかもしれませんが、古くには旧暦正月15日に行われていたものです。
これもまた、中国での上元の行事が日本に伝わり今に至っているものの一つと受け止める事ができます。
それでは、なぜ日本では上元という言葉が残らなかったのでしょうか。
きっと、元々日本にあった小正月の行事に上元の行事が取り込まれた為ではないかと推測します。
中元とは?
中元は、旧暦七月十五日をいいます。
古代中国では、中元の日を人間贖罪の日としており、終日庭で火を焚いて神様を祝う風習がありました。
日本では、盂蘭盆会の行事が行われる日に当たります。
きっと、察しの付いている方もいらっしゃることでしょう。
現在のお中元の風習は、すでに日本にあった盂蘭盆会の行事と中国から伝わった中元の行事が融合し、変化して出来上がったものだとされています。
また中元に品物を贈るようになったのは、江戸時代に行われていた「盆礼」が起源だとされています。
下元とは?
下元は、旧暦十月十五日をいいます。
古代中国では祖先の霊を祀る行事でしたが、日本では、今も昔も「下元」と呼ばれる行事は存在しません。
ただ日本で古くからある行事を見てみると、この日を中心にして行われる亥の子や十日夜などがあります。
どちらも、秋の収穫祭が基となっている行事です。
このことから、上元と同様に、下元の行事が元々日本で行われていた民間行事(収穫祭)に吸収されたと考えることが出来ます。
最後に・・・
話は変わりますが、現実的に、お中元に贈る物を何にしたらいいのかと悩んではいませんか?
もし心当たりがあるとすれば、こちらの記事が役立つかと思います。
お時間あれば、お立ち寄りくださいませ。
《参考》
現代こよみ読み解き事典 / 岡田芳朗 阿久根末忠 編著
三元 / コトバンク
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