暦の暦注には、六曜など日の吉凶に加え、その日の行事や月の満ち欠けなどが書かれています。
※暦注は、市販されている暦でいうと「行事」の欄になります。
おそらくこの欄を見る時は、行事などよりも日の吉凶が気になっているのではないでしょうか。
さて、日の吉凶を表すものの一つに「三隣亡」があります。
子供の頃、良くない日として「三隣亡」という言葉が親達の会話に出て来るのを聞いていました。
ただそれだけですから、良くない日というイメージがあるだけだった事は言わずとです(汗;
そんな過去をも思い出しつつ、三隣亡とはどういう日なのかを解り易くまとめました。
きっと、初めて三隣亡を言う言葉を聞いて、なんだそれ?と思ったあなたや、言葉は知っていたけど詳しく知りたいというあなたのお役に立つことでしょう。
三隣亡の由来は?
三隣亡の由来をたどっていくと・・・という流れを想像していたらすみません。
古くから伝わっている様々な事は、中国から伝わったものがほとんどなのですが、三隣亡は違います。
違うというよりは、確固たる由来がありません。
結論から申し上げると、迷信だと言われています。
三隣亡は足利時代に作られた説
日本の古い暦には、三隣亡の記載が一切ありません。
初めて記載が見受けられるのは足利時代の暦注で、その頃作られたものではないかという説がありました。
それでも江戸時代や明治以降の官暦には、一切掲載されていないということです。
※官暦:政府公認の暦
三隣亡は三輪宝が変化した説
三隣亡は、江戸時代の古い雑書などにおいて「三隣亡」ではなく「三輪宝」と書かれていました。
その注記には「屋立てよし」「蔵立てよし」とあったそうで、元々はいい日であったことが解ります。
それが、いつの頃からか「屋立てあし」「蔵立てあし」に変わっていったというのです。
「よし」が「あし」に変化した理由は、こんな説がありました。
改暦の際に、「よ」を「あ」と写し間違えた。
その後、三輪宝が「あし」ではよろしくないという事になり、三隣亡と造語したのではないかと推測されています。
三隣亡が暦に記載されたのはいつから?
三隣亡が暦に記載されるようになったのは、明治時代に爆発的なヒットを生んだ「おばけ暦」が始まりです。
おばけ暦とは?
おばけ暦は、明治時代に発売されていた偽暦(公式ではない暦)です。
明治の改暦において、迷信的暦注が事実上禁止となったことで、公式の暦には日の吉凶判断が載らなくなりました。
当時の暦は、このようなものです。
そんな中に発売されていた、新暦・旧暦・様々な暦注を記載した民間出版の暦がおばけ暦です。
「おばけ」の名前は、暦の発行が無許可出版のため官憲の手を逃れようと毎年発行場所を変え、編集発行人の住所氏名も正体不明だったところから付けられたとされています。
三隣亡ってどんな日?
三隣亡には、「三隣亡の日に地鎮祭や上棟祭などの建築行事を行うと、3軒隣までを焼き滅ぼす大凶事が起こる」という言い伝えが、今でも残っています。
なるほど「三(三軒)隣(となり)亡(滅ぼす)」かぁ~と、納得してしまうところです。
他に、土起こしや棟上げといった建築行事を行うと工事人がケガをするとか、高いところに上ると怪我をするとも言われています。
これらをまとめると、家を建てるために必要なことを行うと災いが起こる日という事になるからかと思いますが、大工さんには大凶日として扱われていました。
地鎮祭や棟上げの日取りが三隣亡と重なったらどうする?
この日が大安だから!と選んだ日が、たまたま三隣亡と重なっていた(T T)という事は無きにしも非ずです。
迷信という大前提のある三隣亡なので、気にしなければそれまでではあります。
とはいえ、昔から言われ続けている事なので、あまりいい気持ちがしない方もいらっしゃることでしょう。
そんな時は、大工さんや建築業者さんと相談して日程を移動することをお勧めいたします。
三隣亡はいつ?どうやって決まるの?
三隣亡は、節区切りで次のように配当されます。
※節区切り:二十四節気を基礎にした日取りの決め方
- 正月・四月・七月・十月=亥の日
- 二月・五月・八月・十一月=寅の日
- 三月・六月・九月・十二月=午の日
2024年版三隣亡一覧表
節区切りで日を追うのは、なかなか面倒だと思いますので、2024年の三隣亡が当たっている日を一覧表にまとめました。
※日付は、新暦で記載しています。
1月3日・31日 | 2月5日・17日・29日 | 3月15日・27日 | 4月12日・24日 |
5月11日・23日 | 6月4日・19日 | 7月1日・17日・29日 | 8月15日・27日 |
9月11日 | 10月9日・21日 | 11月2日・7日・19日 | 12月1日・16日 |
山形県だけに根付く三隣亡!
三隣亡について調べてたことがある方は経験済みかもしれませんが、「三隣亡 山形」というキーワードがちょくちょく上がってきます。
きっと、なぜ山形?と思ったのではないでしょうか。
これは山形県だけに年間三隣亡や隠れ三隣亡なるものが根付いていることからきています。。
年間三隣亡ってなに?
年間三隣亡は、文字通り1年中三隣亡の日ということです。
なぜ?こんな風習が生まれたのかというと、同業者への営業妨害をするために庄内地方もしくは最上地方の大工さんが言い出したことが広がったものという話が残っているそうです。
しかも言い出した大工さんは、とどのつまり自分の首も絞める事となり倒産してしまったというオチまでついていました。
もう、お解りですね?!
年間三隣亡は、とんでもない迷信です。
ところが、元々庄内地方だけにあった年間三隣亡は、今では山形県内各地に広がっていて、その年の新築件数が極端に少なくなるという現象が起こっていると解って、これまたびっくりしました。
マジか?!と思う方は、論文にもなっていますのでこちらをご覧ください。
⇒「山形県「年間三隣亡」の経済面への影響についての一考察」
年間三隣亡の年はいつ?
年間三隣亡の年は、十二支で寅・午・亥の年とされています。
ただ、昔からあるものなのだからでしょうか、暦にある三隣亡とおなじように節区切りでの1年間となっています。
例えば、寅年の場合だと「寅年の立春から卯年の節分まで」という具合です。
解り易く西暦で書くと、2022年2月4日(寅年立春)~ 2023年2月3日(卯年節分)が年間三隣亡に当たっていることになります。
次に訪れるのは午年ですから、2024年立春~2025年節分までとなります。
隠れ三隣亡について
すみません。
こちらは、具体的なところが把握できておりません。
ただ隠れというだけあって、一見なんでもない日のはずなのに調べてみたら・・・というパターンではないかと推測するところです。
最後に・・・
三隣亡について書いていたら、途中から大将軍が気になってきました。
というのも、山形県しかも内陸地方では、どちらかというと三隣亡より大将軍の方が気にされているように感じたからです。
そんなわけで、大将軍の事を一つの記事として、まとめてみました^ ^
ご興味あれば、お立ち寄りください。
《参考》
現代こよみ読み解き事典 / 岡田芳朗 阿久根末忠 編著
旧暦読本 / 岡田芳朗著
暦と日本人88の謎 / 武田櫂太郎著
宮司さんのおはなし 第19回 / 星川杉山神社
「さんりんぼう」「大将軍」「金神」について / 湯野沢熊野神社
山形県「年間三隣亡」の経済面への影響についての一考察 / 直林茂
コメント