春は4月・・・
ちょうど桜の花が咲き誇る頃、飛騨古川では、地元の人が愛してやまない古川祭が行われます。
古川祭は、古川町内にある、気多若宮神社の例祭です。
古川の人々にとっては、厳しい冬を耐えた後、春の到来を祝うお祭りであり、古式ゆかしい行事でもあります。
この古川祭は、祭と古川を愛する地元の人達によって、長い間受け継がれてきたものです。
そこには、どんな歴史があるのでしょうか。
お祭りの見どころも、併せてお届けいたします。
古川祭の歴史
古川祭は、
- 気多若宮神社本殿においての神事と「御神輿行列」
- 起こし太鼓
- 屋台行列
この3つの行事からなる盛大なお祭りです。
古くは、神事のみが行われていたもので、いつしか御神輿行列が行われるようになり、その後に、起し太鼓と屋台行列が加わったと推測されています。
というのも、古川祭の起源は定かではありません。
始まりは、1685(天正17)年で、盛んになったのは1692(元禄5)年以降と言われています。
屋台建造において最古の記録は1776(安永5)年、起こし太鼓が初めて文献に登場するのは、1831(天保2)年のことです。
また、祭の日程も時代と共に、移り変わってきました。
古い時代は8月6日(旧暦)に行われていましたが、新暦が採用されると、9月20日に移行します。
この時から、古川祭は秋祭りとして行われるようになりました。
ただ、1886(明治19)年8月にコレラが流行したため9月の例祭が不可能となり、この年だけは11月に行われています。
翌1887(明治20)年からは、4月16、17日へと変更されたため、春祭りへと移行しました。
その後、1889(明治22)年には4月19、20日という日程になり、現在まで定着しています。
屋台行列の歴史
屋台って何?と思う方もいらっしゃるかもしれませんので、最初にお伝えしておきます。
古川祭での屋台は、いわゆる山車の事です。
京・江戸融合と言われる屋台は、まさに絢爛豪華!三層構造の屋台は、飛騨独特のものです。
話を戻します。
屋台行列がいつから始まったのか?
こちらについても、明確な資料はありません。
ただ、現存する屋台では最古とされる金亀台の建造が、1776(安永5)年という記録があることから、この頃から屋台が巡行していたのではないかと思われます。
1782(天明2)年には、9台の屋台が巡行していた事が、「飛騨美屋計」(林篁署)に記されています。
きっと、この後に三番曳(壱之町上組)の屋台が加わって、10台になったのでしょう。
それがいつのことなのか、定かではありません。
三番曳は、1895(明治28)年から休台しており、1905(明治38)年の古川火災で屋台の一部を焼失してしまいます。
焼け残った屋台は、1908(明治41)年に手放してしまったのですが、2007(平成19)年に屋台の代車が新調されました。
このようなことがあって、現在の屋台行列で曳き回される屋台は、
神楽台(向町組)、鳳凰台(壱之町中組)、麒麟台(壱之町下組)、金亀台(弐之町中組)、龍笛台(弐之町下組)、三光台(弐之町上組)、清曜台(三之町上組)、白虎台(三之町下組)、青龍台(三之町下組)
の、9台になっています。
それぞれの屋台について、姿形などの詳しい情報を知りたい場合はこちらをご覧ください。
⇒ 「祭屋台」
屋台行列は、今でこそ1つの行事となっていますが、屋台本来の役割は、御神輿行列の露払いでした。
明治時代までは、実際に、御神輿行列を先導していたそうです。
ただ、御神輿行列の先導にはとてつもない労力を必要としたことから、台名旗(各屋台の名前が書かれた旗)が代行するようになり現在に至ります。
起し太鼓の歴史
さて、今では、日本三大裸祭の1つとして全国に知れ渡っている起し太鼓ですが、もともとは、祭りの始まりを告げるためのものでした。
触れ太鼓といって、祭りの日の早朝に、祭りの始まりを太鼓を叩いて触れ歩く行事があります。
この風習は、日本各地に見受けられるもので、朝太鼓や目覚まし太鼓、一番太鼓と呼ぶ地域もあります。
古川祭の触れ太鼓は、元々高山祭にあったものが古川祭に入ってきたと考えられています。
きっと、文献に登場した頃の起こし太鼓は、いわゆる触れ太鼓だったのでしょう。
当時は、半股引にさらしを巻いた裸男達が大太鼓の櫓を担ぎ巡行するというものでした。
それが古川独自の進化を遂げ、現在の起し太鼓になったと考えることができます。
そして、起こし太鼓に欠かすことが出来ないのは、付け太鼓の存在です。
付け太鼓は、小太鼓を棒(細い丸太)に括り付けたつけたもので、大太鼓の櫓の直後に付けることが名誉とされています。
そのため、付け太鼓を持った若衆が大太鼓を待ち受けてぶつかり合うもしくは、櫓の直後を狙う若衆同士がぶつかり合うという形が生まれたのでしょう。
付け太鼓が祭りに加わったのは、幕末頃と言われています。
ただ、その激しさから事故も多く、禁止と復活を繰り返していたのですが、1901(明治34)年に解禁され現在に至ります。
古川祭の見どころは?
古川祭の見どころは、一言ではいい尽せないものがあります。
迫力満点の起こし太鼓に、絢爛豪華な屋台が一同に会する屋台行列、そして古い時代さながらの御神輿行列と、どれ1つとして外すことが出来ません。
大げさかもしれませんが、全てが見どころです!
なんて言ったら、怒られてしまいますね(汗;
でも、全く別の顔を持った3つの行事があっての古川祭ですので、こう言いたくなる気持ちも解っていただけると嬉しいです。
で?結局、どこが見どころなのかって???
泣く泣く2つに絞り込ませていただきました。
1つは、起し太鼓の出立祭、もう1つは夜祭です。
なぜかというと、起こし太鼓と付け太鼓が合いまみえる激しさや、屋台行列(日中に行われる曳行・曳き揃え)は、たくさん紹介されています。
せっかくなので、それ以外の見どころをご紹介したいと思い、この2つを選びました。
出立祭
出立祭は、起し太鼓の安全祈願として行われるものです。
神事が行われた後、総司が音頭を取ると、その場に集まった約1000人の男たちが、一斉に祝い唄「若松様」を唄います。
※総司:その年の起し太鼓を取り仕切る組の代表
暗闇に響くその歌声は、まさに圧巻です。
祝い唄が終わると、重たい太鼓の音が鳴り響き、起こし太鼓が緩やかに動き始めます。
出立祭の模様は、こちらの動画でお楽しみください。
夜祭
夜祭を一言で表すとすれば、屋台行列の夜バージョン、というところでしょうか。
夕暮れ時から、提灯に明かりを灯した屋台が、曳行、引き揃えを行います。
提灯の明かりに照らし出される屋台は、明るい時に見るものとは、また違った趣きがあります。
笛の音と太鼓の音、そして掛け声だけが響き、日の暮れた古川の町を、提灯の明かりを揺らしながらしずしずと進む屋台・・・
日ごろの雑踏を忘れさせてくれるような厳かな光景を、ぜひご覧になってみてください。
最後に・・・
古くから受け継がれてきたものをを守りつつ、時代と共に変化を重ねてきた古川祭。
1980(昭和55)年には、「古川祭の起こし太鼓・屋台行事」として、国の重要無形文化財に指定されています。
なお、ここでのご案内には至りませんでしたが、祭りの日程や交通規制などの開催情報は、記事を改めてお届けしています。
《参考》
2008年古川祭/日本の祭~これまで応援した祭り~ダイドードリンコ
古川祭/飛騨の歴史再発見!
古川に春を呼ぶ~抽選祭からはじまる古川祭~/SATOYAMA EXPERIENCE
《写真提供》
裏山の散歩 / ちびmomo
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