人生の先輩であるお年寄りを敬い、長寿を祝う「敬老の日」
この日ばかりは、別々に暮らしているおじいちゃんやおばぁちゃんと一緒の時間を持つというご家族も多いのではないでしょうか。
さて、老を敬う日で敬老の日ですから、その意味はなんとなくでも想像がつくかとは思います。
それでは、敬老の日の由来はご存知ですか?
敬老の日の始まりとなったお話は、聞いたことがあるでしょうか?
あ・・・そういえば、知らないかも(汗;
というあなたは、どうぞこの先へお進みください。
雑学の引き出しが、もう1つ増えること間違いなしです^ ^
敬老の日の由来とは?
敬老の日の由来には、
- 聖徳太子説
- 養老の滝説
と言われる、2つの説が多く語られています。
それぞれ、どんな説なのかを以下にまとめていますが、この2つの説は俗説といわれており、正しいものかどうなのか?定かではありません。
聖徳太子説
聖徳太子は、推古天皇元(593)年、大坂に四天王寺を建立した際に、四箇院の制をとりました。
四箇院とは、
- 敬田院
仏法の修行場で、いわば寺院そのものです - 施薬院
薬草を植えて薬を調合し病者に薬を施すところで、今で言う薬局です - 療病院
身寄りの無い病人を寄宿させ治療するところで、病院にあたります - 非田院
身寄りの無いお年寄りや放置された子供を収容する孤児院や老人ホームのような施設です
をいいます。
この中で、老人ホームの役割を果たしていた非田院建立の日が9月15日でした。
このことにちなんで、9月15日が敬老の日に選ばれたというのがこの説です。
養老の滝説
昔むかし、美濃国に酒好きの年老いた父親と暮らす、孝行息子がいました。
息子の仕事は木こりで、収入もわずかでしたから、父親に満足するだけのお酒を飲ませてあげる事はできませんでした。
息子が、ある日山に入って薪を取ろうとした時、苔に足を滑らせて谷間に転がり落ちてしまいます。
たどり着いた場所は、どこからとも無くお酒の匂いが漂っていました。
あたりを見渡すと石の中から水が流れ出ており、その水を汲んでなめてみたところとてもおいしいお酒の味がしたので、瓢箪につめて持ち帰ると、これはいいお酒だと父親は大変喜んだそうです。
それからというもの、息子は毎日その水を汲み、父親が満足するだけお酒を飲ませてあげました。
この話が、時の天皇である、元正天皇に伝わると、霊亀三(717)年9月に自らこの地を訪ね、その場所をご覧になりました。
天皇は、「これは、息子のこのうえない孝行を、天地の神がお褒めになったものであろう」と感じいり、後に、その息子に対して美濃守という役職を与えたそうです。
また、そのお酒の出る場所が養老の滝と言われていたことから、その年の11月には元号を「霊亀」から「養老」と改めました。
もう1つの養老の滝説
実は、養老の滝の由来には、もう1つ別の話があります。
霊亀三(717)年9月20日、美濃国を訪れていた元正天皇は、多気郡多度山において美泉をご覧になりました。
それから少し経った11月のある日・・・
「9月に美濃国に滞在した際、多気郡多度山の美泉を見に行って、その水で顔や手を洗ったら肌がなめらかにまるような感じがした。また、痛むところを洗ったところ、痛みは消え治ってしまった。私の体でさえ、このような効果があった」という話をされました。
さらに、この水を飲んだり浴びたりしている人は
- 白髪が黒髪に変わる
- 禿げた頭には髪の毛が生える
- 目の見えない人は見えるようになる
だけではなく、なかなか治らない病気もすべて治ったという話を耳にしたのだそうです。
元正天皇は、後漢の光武帝の時にも「醴泉が湧き出しこれを飲んだ者は、病気がすべて癒えた。」という話を聞いていました。
加えて、符瑞書にも「醴泉は美泉なり。以て老を養うべし。蓋し水の精なり。」と記されていることから、天からのこれほど大きな恵みに大赦して元号を「養老」へと変更せよと命じました。
このことは、「養老改元の詔」に記されています。
長くなるので、要約させていただきました。
もし、興味があるようでしたら全文(古文と現代訳)は、こちらでご覧いただくことができます。
⇒「養老伝説。」
さて、この2つの話は、どちらも元号を変更したという内容ですから、なぜ敬老の日と結びつくのか?という疑問をお持ちになっているかもしれません。
元正天皇が美濃国に向けて旅立ったのは、9月中旬だったのだそうです。
多度山の美泉を見に行ったのが9月20日とされていますから、出発したのはその頃なのでしょう。
このことにちなんで、9月15日を敬老の日としたということです。
敬老の日の歴史
敬老の日の由来と言われている2つの説は、どちらも日付の選定に絡むお話でした。
ここからは、今でいう敬老の日の始まりから、国民の祝日となり現在の日取りになるまでの経緯を、敬老の日の歴史としてお届けいたします。
敬老の日は、1947(昭和22)年兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)で産声をあげました。
当時の村長(門脇政夫氏)と助役(山本明氏)が、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨のもと、「としよりの日」を提唱したのがこの年です。
野間谷村では、1年のうちで気候がよく農閑期にもあたる9月中旬の15日をその日と定め、敬老会が開かれました。
3年後の1950(昭和25)年からは、兵庫県全体で敬老会が行われるようになります。
時を同じにして「9月15日をとしよりの日にしよう!」という県民運動が始まりました。
すると、翌年には全国に広がりをみせたのです。
1951(昭和26)年には、中央社会福祉審議会が9月15日を「としよりの日」としました。
また、21日までの1週間を運動習慣として運動を推進しましたが、今度は「としより」という表現が良くないと各地で議論が起こりました。
これを受けて、1963(昭和38)年、老人福祉法制定に伴い「としよりの日」は「老人の日」として定められ、翌1964(昭和39)年から9月15日は「老人の日」と改称されました。
すると、その翌年に今度は野間谷村から「こどもの日や成人の日があるのに、敬老の日が無いのはおかしい!」という声があがり、幾度となく政府への働きかけが行われたのです。
その結果、「老人の日」は、2003(平成15)年に「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」「敬老の日」として制定され、国民の祝日に加わりました。
その後、暫く「敬老の日」は9月15日で定着していました。
が・・・
2001(平成13)年、ハッピーマンデー制度の実施に伴い9月の第3月曜日へと移行します。
敬老の日が移ることにあたっては、高齢者団体からの反発が相次ぎました。
そのために、老人福祉法が
- 9月15日は老人の日
- 9月15日を含む1週間は老人週間
と、改正されました。
今では、敬老の日のところは(土日が休日の方であれば)三連休!が普通になっていますが、その背景にはこんな道のりがありました。
2024年 敬老の日はいつ?
先にもお伝えしています通り、敬老の日は、毎年9月の第3月曜日となっています。
当然ですが第3月曜日は毎年変わりますから、その日にちは一定ではありません。
2024年の敬老の日は、9月16日です。
来年以降は、
- 2025(令和7)年:9月15日
- 2026(令和8)年:9月21日
- 2027(令和7)年:9月20日
という具合になっています。ご参考までに・・・
最後に・・・
敬老の日と解っていても出向いてのお祝いはなかなか・・・という場合もあるかと思います。
そんな時は、電話を1本入れてみてはいかがでしょう?
「元気?」「変わりない?」という何気ない一言でも、お孫さんの元気な声を聴くことができたら、おじいちゃん、おばあちゃんはうれしいだろうなぁ~と思うところです。
≪参考≫
聖徳太子の精神伝える四天王寺 / 世界日報
養老伝説 / お話歳時記
敬老の日 / 日本文化いろは事典
コメント
( 日本の国旗は 世界一 美しい )
●祝祭日には 必ず玄関先に(日の丸)を揚げましょう。
ネットで調べ、国旗セットを買いました。
90cm×105cm の一般家庭用です。
玄関先の門柱(外から見て左側)に、紐で旗竿を取り付けようと思います。
● 今から 祝日が来るのを 楽しみにしています。
町内会長さん
こんばんは!
最近は、ご家庭の玄関先に国旗を掲げるお宅も少なくなりました。
>今から 祝日が来るのを 楽しみにしています。
もう少しで敬老の日ですね。
その日が晴れますように^ ^