手元にある本をパラパラとみていた時、ふと目に留まったのが「背守り」の文字。
ご存じでしょうか?
まだ、着物を着ていた時代のこと・・・
乳幼児が着る着物の背中に縫い付けられた魔除けが、背守りです。
それにしても、どうして背中だったのでしょうか?
また、背守りは様々な形があって、それぞれに子供を思う親の願いが込められていました。
背守りとは?
背守りを一言で説明するとしたら、乳幼児の着物の背中心に着けた魔除けのしるしです。
※背中心:背中の中央で、左右の後ろ身ごろを縫い合わせている縫い目のこと
では、どうしてその場所に飾り縫いを施したのでしょう。
背中心に背守りを施したのはなぜ?
乳幼児の着物に背守りを施したのは、子供を災厄から守りたい親心からだと言っても過言ではないでしょう。
そこには、当時の事情と民間信仰が絡んでいました。
乳幼児の死亡率が高かったという事情
背守りは、遡ると鎌倉時代頃からあったものと言われていますが、多く行われていたのは江戸時代~昭和初期となります。
そこで、江戸時代の民間事情を調べてみると、平均寿命27.8歳という信じられないデータを目にしました。
平均寿命がこれだけ低いのは、乳幼児(0~5歳)の死亡率が高かったことが原因となっています。
そんな時代ですから、なんとか無事に成長して欲しいと願わない親はいなかったのだろうと想像することが出来ました。
針目には魔物を寄せ付けない力があるという民間信仰
古来日本では、針目には魔物を寄せ付けない力が宿ると考えられていました。
背後から忍び寄る魔物に対して、大人は着物に背縫いがあることで守られています。
ただ、乳幼児の着物に背縫いが無いことから無防備になるため、わざわざ糸目を施して魔除けとしたのです。
※乳幼児の着物は、一つ身といって反物の幅で後身ごろを取ることができるので、背中心の縫い目がありません。
背守りの形とその意味は?
背守りには、何らかの形を色糸で縫い記したものや、押絵の技術を使った立体的なものなど、たくさんの種類があります。
その数は数十種類ともいわれており、具体的な数字をつかむことはできませんでした。
背守りのはじまりはこの形!
背守りの形を意味を調べていると、背守りの基本形に行き当たりました。
古い和裁の教本に載っているものなのですが、それでも数種類あったようです。
背中心に沿って直線で7針、一番上から男児は左に女児は右に折れて5針が一般的ですが、直線9針折れて3針のものもありました。
いずれ全部で12針縫うことが共通で、縫い糸は紅白もしくは五色となります。
といったところで、文字だけではイメージが湧かないかと思います。
明治44(1911)年に出版された「最新女子裁縫講義」に、解り易い図がありましたのでご覧ください。
※実際の記載は、こちらからご覧いただくことが出来ます。 ⇒ 「最新女子裁縫講義」(コマ番号35です)
向かって左側が直線で7針折れて5針、右側が直線で9針折れて3針となっています。
縫い終わりの糸を玉止めにして切るのではなく、長いままにしている事には、
- 子供が井戸や厠などに落ちそうになった時に引き上げてもらいたい
- 危ない場所に行きそうになった時に引き留めてほしい
といった願いが込められています。
背守りが和裁の教本(裁本)に初めて登場したのは、享和3(1830)年に発行された「裁縫早手引」です。
当時もそうですが「最新女子裁縫講義」においても、この背守りは「守縫」と呼ばれていました。
対して、背中心に縫い付ける現在のような背守りは、「最新女子裁縫講義」を見ると「背紋」と呼んで区別されています。
さまざまな背守り
背守りは先にある基本形の他に、小さな端切れが縫いつけてあるだけだったり、押絵になっているものや刺繍と時代によって様々あります。
中には、お札や小豆を入れた袋を提げたり、背守りの裏に名前などを書いた迷子札になっているものもあったそうです。
ただ、どんな背守りであっても、子供が健やかに育つようにという親の願いが込められていたことに変わりはりません。
ここで、明治25年に発行された「日本の裁縫と女禮」に、当時施されていた背紋の図がありましたのでご紹介いたします。
※実際の記載はこちらになります。 ⇒ 「日本の裁縫と女禮」(コマ番号31・32です)
こちらは背紋の名前も載っているので、現在よく聞くものは?とみてみたところ、麻の葉や折り鶴、桜の花がありました。
麻の葉・・・今のものより複雑(汗;
さて、ここからは背守り(背紋)の形とその意味を見ていきましょう。
今回は、たくさんある背守りの中から、古くからあるものを中心にピックアップしました。
実のところ、もっとたくさんの背守りを紹介しながらその意味も書きたかったのですが、そうなるとこの記事をいつアップできるか解らない状況でしたのでご了承ください。
背守りの種類は、追々追記していく予定です。
麻の葉
麻の葉には、どんどんまっすぐ伸びていく強い成長力があります。
この力にあやかることで、子供が健やかに成長して欲しいという願いが込められています。
さらに、麻の葉模様には魔除けの力があるともされていました。
結び
乳幼児の着物には、結び紐がついています。
紐には前をはだけなくする役割があるのはもちろんですが、抜けやすい魂を結ぶことで落ち着かせるという意味がありました。
7歳までは魂が抜けやすく、些細なことで天に召されることがあるとされていた時代から、この背守りは続いています。
目のない背中に結びの背守りをつけることは、子供の魂を守るという意味をもっています。
折り鶴
「鶴は千年」にあやかって、長寿を願った背守りです。
また、鶴が夫婦仲良く一生寄り添うことから、仲のいい象徴ともされていたようです。
これは想像なのですが、ずっと仲良く一緒に暮らせますようにという願いも込められていたのかなぁと思いました。
トンボ
トンボは前に進むことしかしない(後退しない)ことから「勝虫」と呼ばれ、特に江戸時代の武家には縁起がいいと好まれていました。
トンボの持つ広く見渡せる目で、子供を守って欲しいという思いが込められた背守りです。
桜
桜の背守りは、古くからあるにもかかわらず、しっかりとした意味を探すことが出来ませんでした。
「サクラ咲く人生を・・・」という意味もありましたが、この言葉は近代のものと思わずにはいられなかったので、あえてこうですとは言わないでおきます。
調べを進めていくと、こんなことが解りました。
古い時代、桜は田の神様の依り代となる神聖なものと考えられており、桜が咲くと神様が降りてきたとして、お供えをして祝っていたそうです。
この事から、桜の背守りには「田の神様が子供を守ってくれますように」という願いが込められていたものと解釈させていただきました。
最後に・・・
着物を着ることが少なくなった現代も、背守りは産着や七五三の着物に施されることで受け継がれています。
お子さんの着るTシャツの背中に、背守りを施す方もいらっしゃいます。
いずれ、知る人ぞ知る子供を思ったお守りなんだろうなぁ~と思っていたら、どうやらそうでもないようです。
背守りの図案をワンポイント刺繍として利用したり、大人のTシャツの身頃に背守りをデザインとして施すなどして利用されていることが解りました。
これは背守りの域を出てしまっていると、個人的には感じます。
ただ、背守りというものを知ったうえで別の場面でというのであれば、それはそれでありだなぁ~と思うところです。
《参考》
日本の伝統行事・行事食 / 谷田貝公昭・坂本廣子著
背守とは / きもの用語大全
子供の薬 / (一社)北多摩薬剤師会
我が子への慈しみから広がるもうひとつの芸術 / fukuzumiren
前近代を中心とした子供の衣服と性差に関する調査研究:絵画及び染織資料からみた服飾携帯をその実態をめぐって / 文化学園リポジトリ
桜のスピリチュアルな意味とパワー|日本人の精神美のモチーフ / GLOBO
【背守り】練習帖 / 下中菜穂著
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