春がすぐそこまで来ているとはいえ、深夜にもなると、決して暖かくはない3月半ば・・・

東大寺二月堂では、お水取りの行事が行われます。



東大寺二月堂

シンと静まりかえった時間に、篝火(かかりび)と奏楽(そうがく)の中で厳かに進められるこの行事は、

お水取りが終わらなければ春が来ない

と言われるほど、奈良に人達にとって、季節の節目になる行事として浸透しています。


それもそのはず!

お水取りには、1200年以上という、とてつもなく長い歴史があります。


いつどんな風に始まったのか?
どんなことが行われる行事なのか?

少しでも興味がおありでしたら、お付き合いいただけると嬉しいです。

2018年の日程も、併せてお届けいたします。


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お水取りとは

東大寺二月堂では、毎年3月1日~15日に、修二会(しゅにえ)の本行が行われます。

お水取りは、この修二会の途中で行われるもので、
「若狭井(わかさい)という井戸から観音様にお供えするお香水(おこうずい)をくみ上げる儀式
を指しています。


また、修二会は正式名称を、十一面悔過(じゅういちめんけか)といいます。

十一面は十一面観世音菩薩を指し、悔過は罪や過失を懺悔することです。

つまり、修二会とは、私達が常日頃犯している様々な過ちを、二月堂本尊の十一面観世音菩薩様の前で懺悔するという意味を持つ行法になります。


修二会の由来

あれ?お水取りの由来じゃぁ・・・
と、思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今では、修二会の別名がお水取りのようになってきていますが、お水取りは、修二会本行で行われる行法の一部にすぎません。

つまり、修二会無くしてお水取りは無かったわけです。

ということで、まずは修二会の由来からお話しいたします。




時は752(天平勝宝3)年10月のこと・・・。

東大寺の実忠和尚が、笠置寺(かさぎでら)の龍穴に入り進んでいくと、いつの間にか兜率天(とそつてん)の内院にいることに気づきます。

内院には、四十九院の摩尼宝殿があり、それらを順に巡礼したところ、最後に常念観音院にたどり着きました。

そこで目にしたのは、諸天衆(てんじゅう)が十一面観音悔過の修行に励んでいるところです。

実忠和尚は、その修行に感動を受け、この修行を人間界にも伝えたいと一人の菩薩様にお願いします。

菩薩様からの返事は、

  • 兜率天の1日は、人間界の400年に相当すること
  • 複雑で難しい行法であること
  • 行道は1日に1000回も繰り返さなくてはいけないこと
  • 生身の観音様を本尊としなくてはいけないこと

などから、人間には無理でしょうというお断りの言葉でした。

それでも、実忠和尚はあきらめることが出来ず、

「勤行(ごんぎょう)の作法は調子を早め、1000回の行道は走って数を満たしましょう。誠意を尽くして来臨を願えば、生身の観音菩薩とて現れてくださるでしょう。」

そう伝えて、兜率天を後にしました。


その後、実忠和尚は摂津国難波津(なにわつ)に行き、補陀洛山(ふだらくせん)に向かって香花を供えると、閼伽(あか)の器を海に放ちました。

この閼伽(あか)の器が、はるか南を目指していきまた帰って来ますように・・・

そう心を込めて、生身の観音様の来臨を願い、日夜ひたすら祈願を続けたのです。

すると、生身の十一面観音様が、補陀洛山から閼伽の器に乗ってお越しになりました。

祈願を始めてから、ちょうど100日目のことです。

実忠和尚は、その観音様を東大寺羂索院(けんさくいん・今の二月堂)に安置し奉りました。


その翌年である753(天平勝宝4)年2月、実忠和尚は、生身の観音様の御前において二七ヶ日夜六時(2週間)の行法を修めました。

これが、最初の修二会とされています。


お水取りの由来

お水取りの始まりとなったのは、ある神様の大失態のお詫びとでもいいましょうか・・・

このようなお話しが残っています。




実忠和尚は、二七ヶ日夜六時の行法の間に、全国13,700以上の神々の名前を書き記した神名帳を作りました。

そして、その神名帳を行法中に読み上げ、神々の来臨を願ったのです。

すると、すべての神々が遠近に関わらずお越しになり、この行を助け、守護する事を約束してくださいました。

が・・・

若狭国(現在の福井県)の遠敷(おにう)明神だけは、1日たっても、2日たっても、いらっしゃいませんでした。

今日こそはと日々待ち焦がれていると、修二会も終わりに差し掛かった頃、やっとお越しになりました。

遅れた理由は、なんだと思います?

あらあら・・・神様でもありますかぁ~(汗;という感じがするのですが、魚釣り
魚釣りに興じていて、時を逃していたのだそうです。

遠敷明神は、「遅れたお詫びとして、道場のほとりに仏様にお供えする香水を奉ることにしよう。」そう実忠和尚に伝えると、お堂の外に出て石段を下りていきました。

そして、石段を下りたところに横たわっている大きな岩の前に座ると、呪文を唱えたのです。

すると岩が二つに割れ、白と黒の二羽の鵜が飛び立たったと思いきや、そのあとから清らかな水がこんこんと湧き出てきました。

実忠和尚は、その水を汲み上げると十一面観音様の御前に捧げました。

これが、お水取りの始まりです。




水が沸きだした岩は、周りを石で囲み閼伽井としました。
 ※閼伽井:閼伽水(供養のために備える水)を汲む井戸

若狭国の遠敷明神が出してくてくれた井戸ということで、若狭の井戸(若狭井)と名付けたのだそうです。

若狭井は、現在、閼伽井屋という建物の中にあり、一般公開はされていません。

お水取りの行事においても、閼伽井屋の中に入ることができるのは限られた人だけとなっています。


お水取りの行事について

ここまでで、お水取りは、観音様にお供えする香水(こうずい)を汲み上げる行事だという事はご理解いただけたかと思います。

ここからは、お水取りの行事がどのように行われるのかというところを、お伝えしたいと思います。


修二会では、1日(日中から夜明けまで)を六つの時(六時)に分けて、それぞれに悔過作法が勤められます。
 ※六時:日中、日没(にちもつ)、初夜、半夜、後夜、晨朝(じんじょう)

ただ、それだけではなく、六つある時と時の間にも、様々な法要や行事、作法が組み込まれていることを付け加えておきます。
 ※時:六つの時に行われる悔過作法をまとめて「時」とも呼びます。




お水取りの行事は、12日目の深夜に、後夜の悔過作法を中断して行われます。

咒師(しゅし)と、5人の平衆(ひらしゅう)が童子(世話役)を共にお堂の外に出ると、松明を持つ咒師童子を先頭に、汲み上げた香水を入れる閼伽桶を担ぐ庄駆士を交えて列をなし、篝火が焚かれ、雅楽の鳴り響く中を、しずしずと石段を降りて閼伽井屋へ向かいます。

先にも書きましたが、閼伽井屋の中には、限られた人しか入ることができません。

どのような人かというと、香水を汲む役割を持った咒師堂童子です。

咒師と堂童子が、若狭井から香水を汲み閼伽井桶を満たすと、また行列をなして二月堂へと運んでいきます。

同じ行為を三度繰り返し、香水を内陣に収めるとお水取りの行事は終了となります。

言葉だけでは、伝わりにくいかと思いますので、こちらの動画で雰囲気をつかんでください。


お水取りの行事は、作法を中断して行うため、練行衆も閼伽井屋まで下りてきてその様子を見ています。

お水取りが終わると、練行衆も列をなして二月堂へ戻り、中断していた後夜の作法が再開されます。


2018年の日程について

修二会本行は、毎年3月1日に始まり15日を以って満行となります。

2018年は、3月1日(木)~15日(木)です。

お水取りの行事は、12日(月)の深夜、正確に言うと、13日(火)の午前1時過ぎ頃から始まります。

※要注意!!
お水取りをいい場所でみようと思ったら、早い時間からの場所取りをお勧めします!

その理由は・・・

修二会本行中、一度しかないお水取りと、一度しかない籠松明が重なるからです。
籠松明は、12日の19時30分から行われますので、その前から混み合う事をご承知おきください。


最後に・・・

お水取りが行われる深夜は、かなり冷え込みます。

防寒着や使い捨てカイロなど、寒さ対策は必須ですので怠らないようにしてください。

籠松明
加えて、お水取りは静粛にというルールのもとに、誰でも見学することができるものです。

写真を撮る際のフラッシュや、奇声を発することは厳禁ですのでお気を付けください。


また、ここでは大きく取り上げていませんが、お松明をゆっくり見たいという場合は、
お水取りの行われる日以外の平日がおススメです。

お松明の行事は、

  • 3月1日(木)~11日(日)及び13日(火):19:00~ 約20分間
  • 3月12日(水):19:30~ 約45分間
  • 3月14日(水):18:30~ 約10分間

という予定で行われています。ご参考までに・・・



≪参考≫
 修二会 / 華厳宗総本山 東大寺
 東大寺・二月堂のお水取り / 東大寺二月堂南茶所 龍美堂
 奈良 東大寺二月堂 お水取り
    ~修二会(しゅにえ)についての基礎知識~ / 色の万華鏡 
 東大寺 二月堂十一面観音懺悔の行 / 奈良の昔話 増尾正子
 東大寺二月堂修二会(お水取り) / 奈良観光



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