鐘や太鼓のお囃子が響き渡る中、はぁ~エンヤ!エンヤ!エンヤ!の掛け声で巨大な曳山を豪快に引きながら、唐津市内の旧城下を練り歩く「唐津くんち」
他には類を見ない大きな曳山に圧倒されつつ、訪れた人すべてをくんち料理でもてなす家庭は暖かく・・・
唐津くんちは、唐津の町を愛する人達が受け継いできた歴史と伝統のお祭りです。
唐津くんちの歴史!
「唐津くんち」の呼び名で親しまれているこのお祭りですが、唐津市南城区にある唐津神社の「秋季例大祭」を呼ぶものです。
始まりは16世紀の終わり頃で、約400年の歴史があると一般的に言われています。
※唐津くんちの歴史が約400年というのは難しいという事実!
唐津くんちに詳しい方から情報をいただいたので、ここに記載します。
神幸祭の始まりは、寛文年間(1661年~1672年)とのことです。
仮に神幸祭を寛文元年から行われていたとしても、現在(2021年)では360年と四捨五入するにも厳しいと考えます。
ではなぜ400年と言われるのでしょうか?
その理由は「名護屋城築城400年と市制60周年」に乗せて、平成4(1992)年に400年祭をやってしまったところにあるという事です。
さて、話を歴史に戻します。
唐津神社の秋季例大祭は、元々、旧暦9月29日を中心に行われていましたが、暦制の変更により新暦10月29日が中心となりました。
そして、昭和43(1968)年から11月3日を中心とした祭りとなり現在に至ります。
また、秋季例大祭で曳山行事が行われるようになったのは、文政2(1819)年のことです。
刀町の石崎嘉兵衛(中ノ菊屋(酒屋)の当主)が、お伊勢参りの帰り道に見た祇園山笠に感激し、仲間達と「赤獅子」を作って唐津神社に奉納したのが最初と言われています。
その後、明治9(1876)年までに15台の曳山が作られました。
①赤獅子(刀町) ⑧金獅子(本町)
②青獅子(中町) ⑨黒獅子(紺屋町)
③亀と浦島太郎(材木町) ⑩武田信玄の兜(木綿町)
※製作当初は亀と宝珠 ⑪上杉謙信の兜(平野町)
④源義経の兜(呉服町) ⑫酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
⑤鯛(魚屋町) ⑬珠取獅子(京町)
⑥鳳凰丸(大石町) ⑭鯱(水主町)
⑦飛龍(新町) ⑮七宝丸(江川町)
このうち⑨番目の黒獅子は、明治22(1889)年の巡行を最後に姿を消しており、現存するのは14台となっています。
現存する14台の曳山を、写真で見るならこちら!
⇒「14基の曳山写真集」
尚、14台の曳山すべてが昭和33(1958)年、佐賀県の重要有形民俗文化財に、曳山行事は昭和55(1980)年、国の重要無形民俗文化財に、それぞれ指定されています。
もし、消失した紺屋町の「黒獅子」に興味があるとしたら、少し古いものになりますがこちらの記事をどうぞ♪
⇒ 「紺屋町 黒獅子考」
唐津くんちの行事と日程は?
唐津くんちは、先にも書いたように唐津神社の秋季例大祭、つまりは毎年11月2日~4日に開催される曳山行事を指しています。
仮に、何かの舞台に例えるとしたら「本番」にあたるのが、唐津くんちです。
舞台の本番を迎えるには、稽古という準備が必要ですし、終了後には、お疲れ様でしたの打上げがあったりします。
唐津くんちには、この稽古や打上げにあたる「くんち行事」といわれる唐津神社の神事があり年間を通して行われています。
新春獅子初め
唐津くんちの年頭行事として、1月上旬に行われます。
唐津神社で、1年間のくんち行事の安全祈願をした後に、曳山展示場にて14台の曳山を前に曳山囃子を奏でます。
春季例大祭
毎年4月29日に開催される春季例大祭は、秋季例大祭(唐津くんち)と対を成す唐津神社の春祭りです。
神社本殿において行われる、曳山取締会や氏子総代などが参加する神事が主な行事になります。
それでも、この日は参道に14台の曳山が勢ぞろいするだけでなく、自由に曳山に触ったり子供を乗せて記念撮影ができる唯一の日とあって、たくさんの人が参道を訪れ賑わいます。
幕洗い行事
唐津くんちの始まりを告げる行事とされる「幕洗い行事」は、唐津の夏の風物詩として親しまれています。
幕洗い行事は、曳山本体の下部に巻かれている幕を町田川で洗い、土手に干し乾かしている間に松浦川河口へ船で下りながら酒を酌み交わし、くんち話に花を咲かせたのが始まりと言われています。
現在では、川で幕を洗うことは無くなりましたが、船の行事だけは残っており、町の暑気払いや懇親会として行われています。
夏の唐津の夜にお囃子が聞こえたら、どこかの町が幕洗いの行事を行っていると思ってください。
初くんち
曳山を持つ14の町が、唐津神社本殿にて、1町ずつお囃子を奉納する儀式です。
夏に行われる「幕洗い行事」とあわせて、本番を前に身を清める儀式とされています。
初くんちは、毎年10月9日の午後7時から行われます。
神輿飾りと唐津神社本殿祭
毎年10月29日に、行われる行事です。
当番町と呼ばれる2町が総行司という役を務め、唐津神社のお神輿に飾り付けを施します。
その後に、神社本殿においてその年の五穀豊穣・商売繁盛に感謝する神事「本殿祭」が行われます。
本来、唐津くんちは10月28日から3日間の日程で行われていたのですが、昭和43(1970)年に本殿祭だけを10月29日に残し、曳山の巡行が11月3日に移行されました。
秋季例大祭(唐津くんち)
唐津神社の秋祭り、唐津くんちの本番です!
毎年11月2日(宵曳山)、11月3日(御旅所神幸)、11月4日(町廻り)の、3日間の日程で行われます。
唐津くんち 宵曳山(よいやま)
毎年11月2日に行われる、唐津くんちの前夜祭です。
町の曳山が引き出され東行する間に、各町が曳き順通りに、一番近い場所から参加して唐津神社前に集合します。
刀提灯に火を灯し、夜の町を走る曳山の姿はとても幻想的です。
宵曳山が現在の形になったのは、昭和41(1966)年以降のこと。
それ以前は、「勝手曳き」と言われ、各町ごとに自由に曳山を引いて唐津神社前に集合していました。
唐津くんち 御旅所神幸(おたびしょしんこう)
毎年11月3日
に行われる、唐津くんちのクライマックスです!!
早朝に、唐津神社と特別な関係のある神田地区の青年が「ガブガブ獅子」と呼ばれる獅子舞を奉納します。
その後、唐津神社のお神輿を中心に、前後に曳山が従う形で西の浜明神台(お旅所)までの巡行が始まります。
御旅所においては、唐津くんち最大の見せ場である「曳き込み」が行われ、休憩をはさんで「曳き出し」が行われます。
曳き込みは、数トンある曳山を砂浜へと曳き込むもので、砂に車輪がのめり込んで動かない曳山を、曳き子達が勇壮に力強く引き込んで行きます。
曳き出しは、曳き込みと逆の動きをします。
砂に車輪がのめり込んで動かない曳山を、今度は砂浜から引き出します。
曳き出しが終わった曳山は、各町へと戻っていきます。
唐津くんち 翌日祭(町廻り)
唐津くんち最終日となる、毎年11月4日に行われます。
前日の御旅所神幸は神事としてのくんちですが、町廻りは「町の人のためのくんち」ということができます。
早朝、唐津神社前に集まった曳山は、前日とほぼ同じ巡路で旧城下町を回ります。
この日が曳山の曳き納めとあって、力の限りを尽くして曳山を曳く曳き子達。
沿道からも力一杯の掛け声がかかります。
そして・・・
曳山は1台、また1台と曳山展示場へと帰っていきます。
神輿受取渡の儀と神輿終い
その年の当番町から翌年の当番町へ神輿と役を引渡す儀式で、毎年11月5日に行われます。
翌年の当番町は、神輿を唐津神社内の倉にしまい、その日から1年間、当番町としての任に就きます。
唐津くんちに関わる、唐津神社の神事としての行事は以上になりますが、この他にも各町ごとの寄り合いやお囃子の練習など、1年を通じて様々な行事が行われています。
≪参考≫
唐津くんち / 旅Karatsu
唐津くんちのいろいろな行事 / 唐津くんち情報「唐津くんちに来んね!」
唐津の祭り1:唐津くんち / 唐津市
《協力》
唐津くんち特集 / ブログ運営者様
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