雪祭りといえば、札幌を連想される方が多いのではないでしょうか。
日本国内で行われる雪祭りの様々なランキングにおいて、ダントツの1位を誇るのがさっぽろ雪まつりです。
- さっぽろ雪まつりにはどんな歴史があるの?
- さっぽろ雪まつり!第3回以降の移り変わり
- 第3回 1952(昭和27)年
- 第4回 1953(昭和28)年
- 第5回 1954(昭和29)年
- 第6回 1955(昭和30)年
- 第8回 1957(昭和32)年
- 第9回 1958(昭和33)年
- 第10回 1959(昭和34)年
- 第12回 1961(昭和36)年
- 第14回 1963(昭和38)年
- 第21回 1970(昭和45)年
- 第22回 1971(昭和46)年
- 第24回 1973(昭和48)年
- 第25回 1974(昭和49)年
- 第26回 1975(昭和50)年
- 第32回 1981(昭和56)年
- 第34回 1983(昭和58)年
- 第38回 1987(昭和62)年
- 第41回 1990(平成2)年
- 第44回 1993(平成5)年
- 第47回 1996(平成8)年
- 第50回 1999(平成11)年
- 第56回 2005(平成17)年
- 第57回 2006(平成18)年
- 第58回 2007(平成19)年
- 第60回 2009(平成21)年
- 第70回 2019(平成31)年
- 最後に・・・
さっぽろ雪まつりにはどんな歴史があるの?
どのお祭りでもそうなのですが、歴史に触れる機会はなかなかないと思うのでまとめてみました。
もし、開催日程や内容を知りたいというのであれば、こちらの記事をご覧ください。
さっぽろ雪まつりの始まりはいつ?
さっぽろ雪まつりは、1950(昭和25)年に、産声を上げました。
初回の開催は1日だけで、雪像は地元の中高生が作った6体だったが、様々なイベントが開催され大盛況のうちに幕を閉じた。
ということは、あちらこちらに書かれているので、気になって調べた事があれば、すでにご存じの方もいらっしゃるかと思います。
ただ、(個人的にですが)どうして「雪まつり」が始まったのか?という、もっと根本的なところが知りたかったので調べた事をまとめていきます。
さっぽろ雪まつりが始まるまで
終戦後の北海道は、外地からの引揚者と復員者による人口の増加で、失業はもとより食糧危機が深刻な問題となりました。
当時は、とてつもないインフレーションが起こっていたにも関わらず、戦中はすべての産業が軍需向けだったことが原因で、生活物資の生産性が無いに等しいものでした。
きっと、生きていくことが大変だった時代だと思います。
そんな中、さっぽろ雪まつり開催のきっかけになる出来事が起こったのは、昭和24(1949)年のことになります。
前提にあるのは、世の中の落ち着きを取り戻しつつあったこの頃に、雪まつりのようなイベントを必要としていた団体が多くあったということです。
詳細な流れを書くと長くなるので省きますが、最初のさっぽろ雪まつりは、関わった人の様々な思いが合わさって出来上がったものということができます。
ちなみに、さっぽろ雪まつりを開催するにあたって元となった行事は、
- 小樽市北手宮尋常小学校の「雪まつり」
- 大正14年から中島公園のスケートリンクで行われていた「カーニバル」
- 札幌一中(現・札幌南高)で昭和20年まで行われていた「雪合戦」
の3つになります。
企画が持ち上がった当初は1年間の準備期間を見込んでおり、昭和26年の開催予定をしていたのですが、準備中に急遽予定変更となり昭和25年に開催するとして進められていきました。
最初のさっぽろ雪まつりが開催!!
【開催日】1950(昭和25)年2月18日
【会場】札幌市中央区大通西七丁目
※会場は、当時、市民の雪捨て場として利用されていました。
雪像制作には、札幌市内の高校(3校)と中学校(2校)が参加して
- 「裸像」(北海高校)
- 「ミロのヴィナス」(札幌工業高校)
- 「羆」(北海道二高/現札幌西高校)
- 「バルザック」「セザンヌのモニュマン」(北辰中学校)
- 「生徒の首」(向陵中学校)
の、六作品が出展されました。
同時に開催されたイベントは、
- 歌謡コンクール
- タンブリング
- スクエアダンス
- ドッグレース
- スキー仮装行列
- 映画「銀嶺の果て」の上映
と、多様に飛んでいます。
中でも人気だったのは、スクエアダンスと野外での映画上映会でした。
あまりにも人が押し寄せてトラブルが起きてしまったため、スクエアダンスは開始30分で中止、映画上映会は中止となったそうです。
最初のさっぽろ雪まつりは、2日間での来場者数は5万人と言われています。
現在(2019年は273万人)からしたら、少ないと思われるかもしれませんが、当時の札幌市の人口は約30万人でした。
それに、初めての開催(札幌市民しか知らない)という事を考えると、大盛況!と言っていいでしょう。
さっぽろ雪まつり!初めての開催が第1回ではないのはなぜ?
ここでひとつ!中にはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、最初のさっぽろ雪まつりは「さっぽろ雪まつり」が正式名称で、「第1回さっぽろ雪まつり」ではないことをお伝えしたいと思います。
もしかしたら、ここまでの文章で、初めてとか最初のという言葉を使っていたので、「第1回」じゃないの?と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
初めての開催が「第1回」とされていない理由は、この雪まつりを開催するにあたって、継続して行うことが前提では無かったからです。
ただ、開催した結果が大成功に終わったため、翌年にも開催しようという動きがあり「第2回」として開催される運びとなりました。
第2回 札幌雪まつりの開催!
長い間、雪に閉ざされる冬を照らすイベントだった「さっぽろ雪まつり」!
そんなイベントに大きな期待を寄せる札幌市民の意を受けて、第2回からは札幌市の正式行事とされました。
【開催日】1951(昭和26)年1月26日~27日
【会場】札幌市中央区大通西七丁目
イベントは、
- 雪国生活文化の向上
- 体育レクリエーションの普及
- 芸能文化の向上
- 産業の振興
といった4つの目的をもとに、前回よりも多いプログラムとなっています。
メインとなる雪像の展示は、十数基になりました。
中でも「かがり火を持つヴィナス」(伏見工=現:札幌工業高校)は7メートルにも及ぶ大きな雪像だったそうです。
また、この回に開かれた「郷土芸能祭」では、整理券を持っていても入場できないほどの観客が押し寄せたため混乱が起こり、会場のイスやガラスが破損するというトラブルが起こりました。
イベント中止とならなかっただけ良かったのかもしれませんが、当時の人々は、どれだけ娯楽にうえていたのかが解るのではないでしょうか。
さっぽろ雪まつり!第3回以降の移り変わり
さて、第2回開催から札幌市の恒例行事となった「さっぽろ雪まつり」ですが、日程や開催場所などが現在のように落ち着くまでは暫くかかっています。
そんなわけで、ここからは「さっぽろ雪まつり」の移り変わりを追っていきたいと思います。
少し駆け足になってしまいますが、変更のあった開催回数・開催年・変更内容を綴りました。
第3回 1952(昭和27)年
この回から、会場が大通西四丁目に移されました。
雪像制作には1つのテーマが設けられ、そのテーマに乗っ取ったものが作成されるようになります。
第4回 1953(昭和28)年
さっぽろ雪まつり始まって以来の、大雪像が登場!!
15メートルに及ぶ雪像「昇天」が、伏見工土木科の生徒を中心に全校を挙げて作られました。
第5回 1954(昭和29)年
この年は、第九回国体スケート競技会が札幌市で開催されており、雪まつりもその日程に合わせて開かれたので、開催期間が4日間と前年(2日間)よりも長い開催期間となりました。
雪像制作に市民が参加するようになったのは、この回からです。
第6回 1955(昭和30)年
雪像作りに、初めて自衛隊が参加しました。
第8回 1957(昭和32)年
さっぽろ雪まつり会場が、大通西三丁目から西六丁目までに拡大されました。
雪まつりの大型化傾向対策として、事務局が設けられ催しなどに規定を設けるようになったのがこの回からになります。
第9回 1958(昭和33)年
前夜祭
が開催されたのは、この年からです。
雪まつり会場も、大通西三丁目から西八丁目までと前回よりさらに拡大されました。
また、大雪像が中心となる現在のさっぽろ雪まつりの原型が完成したのが、この年だとされています。
第10回 1959(昭和34)年
さっぽろ雪まつりが始まってから10周年となる記念すべきこの年に、実行委員会が設置されました。
さっぽろ雪まつりが、初めて日本国内全てのテレビ、そして新聞や週刊誌に取り上げられたのもこの年です。
第12回 1961(昭和36)年
雪まつり会場が、大通西一丁目から西八丁目までに拡大されました。
第14回 1963(昭和38)年
雪まつり会場は、大通西二丁目から西一〇丁目までへとさらに拡大されます。
この年に、真駒内自衛隊駐屯地で「スノーフェスティバル」が開催されました。
後々、さっぽろ雪まつり真駒内会場へと発展を遂げるきっかけとなったイベントです。
第21回 1970(昭和45)年
雪まつり会場を、大通西一丁目から西一〇丁目まで拡大しました。
この年のテーマは、日本万国博(大阪万博のこと)と札幌オリンピックでした。
※大阪万博は、同年3月15日~9月13日まで開催されました。
第22回 1971(昭和46)年
さっぽろ雪まつり!日本から世界へ!!
プレオリンピックが2月に開催されたため、さっぽろ雪まつりは1月への繰り上げ開催となりましたが、これが功を奏したのでしょう。
プレオリンピック報道のために集まっていた海外報道陣が、さっぽろ雪まつりを各国へ紹介したため、世界へ広まっていきました。
第24回 1973(昭和48)年
この回から、さっぽろ雪まつりの会期を2月1日~5日と固定することになりました。
第25回 1974(昭和49)年
初めての国際雪像コンクールが開催され、カナダ、フランス、韓国、ベトナム共和国、アメリカ、日本の6チームが参加しました。
この催しは、現在も続いています。
第26回 1975(昭和50)年
本州からの観光客に実際に雪像を作ってもらおうと、雪像作製広場が設けられました。
第32回 1981(昭和56)年
第24回から固定されていた雪まつりの会期ですが、この回から「固定」という原則が撤廃されました。
その理由は、雪まつりの最終日を日曜日とする事によって、さらなる盛り上がりを狙ったためというものです。
第34回 1983(昭和58)年
すすきので行われていた「すすきのまつり」が、雪まつりの正式行事として認知されたのがこの年からになります。
すすきの会場の、誕生です!
当時の「すすきのまつり」は、現在「すすきのアイスワールド」として、人気を集める催しとなっています。
第38回 1987(昭和62)年
この年から、会期を7日間に延長しました。
第41回 1990(平成2)年
中島公園を第四会場とし、市民が気軽に参加できる場が設けられました。
真駒内会場を会期前日に見ることができる、福祉開放が始まったのもこの年からです。
第44回 1993(平成5)年
第四会場(中島公園)を廃止し、大通西十二丁目に市民の広場を増設しました。
第47回 1996(平成8)年
さっぽろ雪まつり!インターネットでの情報発信を開始!!
同時に、国内外の小中学生に市民雪像のアイディアを募集しました。
第50回 1999(平成11)年
札幌市雪像制作委員会が、発足しました。
これは、自衛隊の協力縮小に備えたものでした。
第56回 2005(平成17)年
真駒内会場は、この年をもって閉鎖となりました。
第57回 2006(平成18)年
第二会場が、さとらんどに移りました。
第58回 2007(平成19)年
大通西六丁目に、「北海道 食の広場」を開設しました。
さらに、携帯向けのサイトもオープン!!
待ち時間などの情報提供が、開始されました。
第60回 2009(平成21)年
第二会場が、つどーむ会場へと変更されました。
第70回 2019(平成31)年
記念すべき第70回目の開催が、平成最後のさっぽろ雪まつりとなった事は言うまでもありません。
この年は、70回を記念すべく、デジタル技術と融合した新しい形の雪まつりが実施されました。
最後に・・・
ここまで、さっぽろ雪まつりの始まりから平成までの歴史を、お届けいたしましたが、いかがでしたでしょうか。
もっと詳しく知りたい!という方は、さっぽろ雪まつりの公式HPをご覧ください。
「さっぽろ雪まつり 70年の歩み ~純白の夢よぶ世界の広場~」
なお、令和以降については、記事を改めてお届けいたします。
※新たにアップした際には、ここに記事リンクを置きます。
《参考》
これが元祖! 第1回「さっぽろ雪まつり」の雪像見せます / ウォーカープラス
さっぽろ文庫 47 「さっぽろ雪まつり」/ さっぽろ文庫
さっぽろ雪まつり 公式WEB / さっぽろ雪まつり実行委員会
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